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チャップリンのブーム、昭和の終わりの映画をめぐる記憶 [映画 Movie]

僕がチャップリンに熱中した時、その熱意は、それまでの芸術作品に対する熱意とは異なり、非常に純粋な熱狂であった。小学校5、6年生の頃より、兄がいたせいと、また自分の基本的な知識欲の強さとも相俟って、芸術に対する非常に広範な知識を持っていたが、そこにはどうしても子どもじみた自己顕示欲が付きまとっていた。しかし中学1年の夏休みに、NHK、いや教育テレビだろうか、チャップリンの短編を集中して放送したことがあり、それを境に僕の中に生じた熱意は非常に純粋なものだったのである。『ゴルフ狂時代』『担え銃』『偽牧師』『犬の生活』『キッド』『給料日』この6作品と、『戦債』および『チャップリンスタジオ』の短編が放送された、と記憶している。放送順もこの順序だったのではないだろうか。

ちょうど夏休みにあたり、僕は当時めずらしく、運動部に入っており、夏休みの練習時、友人達と前日に放送された、チャップリンの作品についていかにおもしろいかを語りあった。あの時、間違いなくチャップリンのブームが起こったのである。

チャップリンはもちろん、長期的にみれば、そのキャリアの前半から終生まで、常に大監督であり大俳優であった。しかしブームが沈静化していたことももちろんあったのだ。チャップリンのブームは歴史的には1970年代の前半、日本ではビバ・チャップリンと呼ばれるものがある。確かビバ・チャップリンは、2度に分かれる。おそらくそれはチャップリンが死去する1977年だろう。そして1985年ごろ新たなブームが起こったのだ。僕はこのチャップリンの新しいブームは、前述のNHK、教育が放送した短編が巻き起こしたと思っている。

その後、チャップリンの上映権が切れるということで、チャップリン・フォーエバーと銘打たれ、チャップリンのフェスティヴァルが開催された、僕は最高に楽しみにし、初回の『街の灯』を新宿に、『ライムライト』は横浜に観に行った。どちらかを友人と観に行ったのである。記憶があいまいだが、ライムライトは、僕は映画館の場所に迷い、上映間際に滑り込んだので、立ち見で見た気がする。信じられないだろうが、1986年当時、チャップリンの『街の灯』をメインストリームの映画館で上映し、観客は立ち見すらいたのである。

しかしこのようなまるでチャップリンが現役であったころの往年の映画黄金時代を思い起こさせるような取り組みは2作でとん挫する。広告は縮小し、僕はライムライト以降の上映を記憶していない。僕は見る機会を失ったが、それでもNHK、教育で、昼に放送する名画劇場で、いくつかの主要長編を見ることができた。それは『黄金狂時代』『サーカス』『モダンタイムス』である。

それでも足りなかったのだ。後年知るのだが、僕はチャップリン・フォーエバーはライムライトで打ち切りになったと記憶しているが、その後ラスト・チャップリンというフェスティバルも行われている。それはどこまで上映されたのだろうか?

当時、チャップリン・フォーエバーに永遠に見放された僕を救った映画館がある。ACTミニシアターという高田馬場にあった映画館だ。ここでチャップリンの映画が上映される、というのを、確か父が新聞で見つけて、教えてくれたのではなかったか。ACTミニシアターは、狭い部屋に座布団の上に座り、21世紀の現在では、大型テレビと同程度のスクリーンを皆で鑑賞するものだった。2回か3回通った覚えがある。最初、母に連れて行ってもらい、後は自分で行った気がする。確かそこで『殺人狂時代』と憧れの『独裁者』を鑑賞できたのだ。

『独裁者』非常な憧れを持っていたのは、当時、町田の高原書店で手に入れた、この書籍の表紙からであった。ぜったいこの映画は面白いぞ、と思わせるにたる滑稽なシーンだ。中学校1年生にとって1000円という紙幣は高価であり、定価500円と書いてあるこの本に、なぜ1000円払うことにいささか損をした感情を抱きながらもチャップリンに対する情報を求めていた僕は購入した。
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とにかく、当時チャップリンに対する知識に飢えていたのだ。新聞にちょっとした記事が載れば、それを切り抜いて保存した。広告などもすべてだ。近所の本屋さんで僕はチャップリンについての第一人者である淀川長治さんの文庫本を購入した。その後、僕は売り払ってしまったが(僕はCDだけでなく書籍もジェノサイドをしたのだ)、思い入れのある本なので、もう一度買いなおした。
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何度も読んだ。この本の他に、『続・私の映画の部屋』『私の映画教室』も同じ本屋で購入した。僕が好きな淀川長治さんのチャップリンについての記述は、この本でみつからないのだが、『サニーサイド』についての記述だ。チャップリンが夢の中で天使と踊り遊び、転んだときにサボテンのトゲがお尻にささり、夢から覚める、と淀川長治さんは記述する。僕はその頃『サニーサイド』を見ることができなかった。後述するが、サニーサイドを鑑賞できるのは、LDでチャップリン・コレクションが発売されてからだ(僕が高校生になってからだろう)。僕は後年、『サニー・サイド』を見て、淀川さんの記述が間違えていることを知る。チャップリンは確かに転び、サボテンのトゲがささる。しかしその時点では夢から覚めないのである。まだ夢の中での天使たちとの戯れは続くのである。

淀川長治さんの記述は間違えていた。僕はその時、非常な感銘を受けたのだ。「淀川長治さんは、1919年に少年の頃に見た当時の記憶を数十年経った後で語っているのだ。おそらく子どもの頃の淀川長治さんには、サボテンのトゲがささるという事象のインパクトが強く、記憶がそのようになったのだろう」。僕はその時、淀川さんの、映画評論家、鑑賞者、歴史の証人、チャップリンへの愛情、そのすべてにおける強さに圧倒されたのだ。

この『私の映画の部屋』をあらためて読んで、「昭和らしいな」と思う記述がある。「ここでどうなると思うと、コマーシャル」という記事がある。そもそも2017年の現在“コマーシャル”なんて普段書くだろうか?素晴らしいカタカナの響きだ。なんとなく大橋巨泉の姿が目に浮かんでくるのはなぜだろう。昔、テレビで映画が放送されると、CMで切断されることが嫌だったのだ。淀川さんも嫌いだったろう。しかし日曜洋画劇場の解説者として、コマーシャルの意義、コマーシャルがいかに計算されてさしはさまれているかを、淀川さんは説明する。そんなところにも淀川さんのプロ意識、人格を垣間見るのだ。

1985年頃、淀川さんの著作の他に、当然僕が手に入れた文庫がある、なぜ僕は当時手に入れた現物を処分などしたのだろうか、それは『チャップリン自伝』だ。しかし1985年当時、入手できるのは『若き日々』だけであり、チャップリン自伝の全体ではなかった。ハードカバーは確か絶版であったはずだ。文庫の『チャップリン自伝』で後半が出版されるのは、ロバート・ダウニー・Jr主演の『チャーリー』が公開される1992年になってからである。

高校2年生か、3年生の頃であろうか、一向に大学受験の勉強をはじめない、僕に、母がお金をつかませ、「これで参考書でも買ってきなさい」と言ったときがあった。僕はそのお金をもって、町田にある書店に行った、確かジョルナにあった本屋さんだ。参考書を買いに行ったはずの僕は、思いがけず、あこがれの書籍を見つけてしまう。『チャップリン自伝』のハードカバーだった。僕は参考書は買わず、『チャップリン自伝』を買って家に帰った。母は僕にこう言った「チャップリンならしょうがない」。

そんなことをしているから当然大学受験も失敗した。予備校に通ったが、勉強をするわけでもなく、僕が通った新大久保の予備校で覚えている記憶の一つは、駅前の書店で、次の本を購入したことだ。
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この文庫も、僕は後に処分してしまい、いま挟まっているレシートを見れば、1998年に渋谷のパルコで買いなおしたものだった。なんとなく思い出したが、渋谷のパルコで何か本を買って帰ろうと思い、これを選んだのだ。当時社会人になったばかりで、時間的な自由を失ったものの、金銭的な自由を得た僕は、多くの映画を鑑賞していた時期で、この文庫をまた必要としたのだろう。

この本でランキングに選ばれている映画、というのは実に昭和的なのだ。例えば、2017年の今、知識人達に同じアンケートを取れば、まったく違う結果になると思う。例えば、監督ベスト10には、ゴダールも、メルヴィルも、アルトマンもポランスキーも入っていない。絶対、男優ベスト1にジャン・ギャバンは選ばれない。時代の趣味は変わったのだ。

この本の表紙に、『黄金狂時代』が書かれているのだ。2017年に同じような本を企画したとして、黄金狂時代が表紙を飾るだろうか?なんと作品ベスト150に『キッド』が60位に入っているのである。驚くなかれ、今、何度も目をこすり確認したが、あの世紀の傑作『チャイナタウン』が150位どころか、そこから漏れた200位までにも入っていない。もちろん『ロング・グッドバイ』は探す気にもならない。これだけ時代精神が影響しているのだ。

僕はこの文庫の中で、非常に好きな文章、寄稿者がある。それは逸見政孝さんだ。彼は小難しいインテリ気取りの映画通ではない。彼は自分のベスト10のうち6作品をチャップリンの作品を挙げ、ベスト1の監督、男優にもチャップリンの名前を挙げたことで、この文庫で、チャップリンについての文章を載せるという素晴らしい栄誉を手に入れる。文章ではチャップリンとの出会いは小学生にさかのぼると書いている。となると1950年代だろう。しかし僕は推測する、逸見さんがチャップリンに熱中しだすのは、おそらくビバ・チャップリン、そして、ベスト10のうち6作をチャップリンに捧げるほどになるのは、1980年代のチャップリン・フォーエバー、そうNHKが短編を再放送をしたことで巻き起こったブームが影響していたはずだ。

僕は基本的に天邪鬼であり、きれいごとも、好きでもないのだが、逸見政孝さんだけは、このチャップリンについての寄稿文から、本当に真面目で、誠意のある、素晴らしい人だったのだな、と信じて疑わない。まったく彼に対して批判めいたり妬んだりする気が起きない。彼が寄稿したのは42歳のとき、彼が亡くなる6年前のことだ。断言するが、この文庫の中で、もっとも昭和の証人としての、感覚に満ち溢れた素晴らしくも純粋な文章は、逸見政孝さんのそれである。

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