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連休2日目 [音楽 Music]

気持ちの良い朝にしようと、頭の中に、プリテンダーズのバック・オン・ザ・チェイン・ギャングが流れ続けるので、CDをかけようとしたが、どうにも見つからない。仕方がないのでYou Tubeで聴くことにした。

1.


このライブは2014年、なんとクリッシー・ハインドは63歳。かっこよすぎる。グレース・スリックは59歳の時に、高齢の女性はロックに合わない、というような持論で音楽活動を辞めている。グレース・スリックにも理はあるが、クリッシー・ハインドの存在自体がその説にカウンターを鮮やかにお見舞いしてしまうだろう。ただグレース・スリックの歌唱が、豊かな声量と高音までカバーできる声域を使うのに対し、クリッシー・ハインドは自然な声域で、語り掛けるような歌い方を魅力としている、という点がが両者の音楽活動の期間に違いが出た理由なのかもしれない。

バック・オン・ザ・チェイン・ギャングを聴くと、GAPを思い出す。ヴィヴィアン・ウェストウッドの伝説のショップで働いたこともあるクリッシー・ハインドに、そんなことを言ったら失笑されるだろう。しかし1997年頃、渋谷のGAPに立ち寄った時に、この曲が流れていたのだ。

この曲の背景を調べていたら、バック・オン・ザ・チェイン・ギャングが非常に強い感情がこめられた音楽であり、クリッシー・ハインドはコンサートで演奏する際、たまに泣くことがある、という記事を読んだ。歌詞の冒頭にでてくる写真は付き合っていたレイ・デイヴィスの写真だそうだ。泣くことがある、という記事が引っかかったのは、この動画。



数多くのコメントの中に、クリッシー・ハインドのマスカラが落ちているのに気付いた人が、クリッシー・ハインドが泣いている、とコメントしている。








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連休1日目の夜 [音楽 Music]

今日は実は、会社から早く帰って映画を見に行こうと思っていたのだ。なぜそんな無謀なことをしたのか悔やまれるが、結局行くことはできず、オンラインで申し込んだチケット代は無駄になってしまった。明日もやっているだろうから、明日の分をこれから申し込むつもり。

勝手にまた今日を、連休1日目の夜と定義して、土日を充実させる算段なのだが、いつものとおり、おそらくこの記事も途中で書くのをやめてしまうのだろう。1日が充実するとブログを書く暇もなくなり、その記録が中途半端になるというジレンマに陥るのだ。まさにこのブログのタイトルにふさわしいテーマではないか。

さて、聴くCDも勝手にプログラムを作って、特別な1日を演出するのだ。まず最初に聴いたのは。

1.ピーター・フランプトン/フランプトン
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Into The Mirror Black / Sanctuary [音楽 Music]

僕がヘヴィ・メタルを聴かなくなったタイミングというのは、ヘヴィ・メタルのブームに陰りが見えだしたころと重なる。1980年代の後半。僕はもうその頃になると聞く音楽はクラシックからポップ、ジャズとあらゆる音楽に食指を延ばし、幅広く聴くようになっており、音楽にとどまらず文学や映画、絵画などありとあらゆる芸術への強大な知的好奇心が育まれた結果、相変わらず固定観念を押し付けようとするBurrn!にも反発を覚えるようになり、残念ながらヘヴィ・メタルを嫌悪するようになっていった。

さてその後、長い道のりを経て、普通にヘヴィ・メタルも好きだ、と広言できるまでに回復したのであるが、長いこと、再び手にする事が遅れたアルバムが二つある。
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連休3日目 [音楽 Music]

昨日は、夕食を食べたあと、そのまま寝てしまった。いつものパターンなのだが、このいつもどおりの展開が、どんなに一日を頑張って過ごしても、最終的に充実感を得ることのできない、という結末になってしまう一番の理由なのだ。

今日は、これから家族を空港に送っていって、その後、何をするか決めよう。

さて家族を空港に連れて行った後、去年と同じように、まずはテーマ・ビルディングを見に行った。毎月第二週の土日は展望台に上がれるのだ。僕はもうこれで3回目である。
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展望台に登り、設置されている望遠鏡を覗いてみた。思いついて携帯のカメラを望遠鏡のレンズに押し当て写真を撮ってみることにしたら、面白い写真が撮れた。
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これはセンチュリーシティ―の方面。テーマ・ビルディングより見るナカトミ・ビル。
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これはダウンタウン。
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ジャケ買いし損なった二つのアルバム [音楽 Music]

今日、バーンズ&ノーブルで、結局はELOのアウト・オブ・ザ・ブルー、フリートウッド・マックのタンゴ・イン・ザ・ナイトにしてしまったのだが、それは自分のストレスを解消するための記念となる日のためには、選択に失敗は許されないからであり、自分の気に入っているアルバムのアニバーサリー盤を無難にも選んでしまったのだ。

しかしレコードを選んでいて、知らないアーティストだけれどジャケットが良いから、これを買ってしまおうかと、ずいぶん悩んだのだ。その一つがこれ。Wilcoというアーティスト。



ジャケットがシカゴの、僕が訪れようと思っていた映画『ハンター』で使われたビル、マリーナ・シティを使っており、裏ジャケもシカゴのウィリス・タワーが映っている、という素晴らしい仕様であったがためだ。
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Out Of The Blue / ELO [音楽 Music]

年に数回ある非常にストレスのかかる仕事がようやく昨日終わったので、今日は仕事帰りにバーンズ&ノーブルに、最初からごまかさずに正確に書くが、レコードとCDを買いに行ったのである。

随分と長いこと吟味して、買うことにしたレコードとCDは、絶対に外れることのない、自分が長いこと好んで聴いているアルバム二つとなった。

そのうちの一つがELOのアウト・オブ・ザ・ブルーだ。僕がELOを初めて聴いたのはDo Yaだった。
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ライオット熱がどうにもとまらない [音楽 Music]

先日からライオットに熱中し出して、オフィシャル・ブートレグを聞いていたら、昔、それほど本心からは好きではなかったウォリアーの旋律が頭の中で、ずっと流れているような状態になっている。ライオットの代表曲と言われるウォリアーは、僕はそれほど好きではない(ロックシティの中で一番好きなのはThis Is What I Getだ)。メロディが湿っぽくて、ちょっと歌謡曲臭がするためだ。しかし久しぶりに聴いたら、そういった要素も魅力として感じられる。


今、3枚目のオハイオでのライブ盤を聴いているのだが、エンディング・ソロはライブ盤の方がかっこいい。このライブでのエンディングソロは、ガイ・スペランザ時代から、こちらのバージョンに変わって演奏されている。それは今のライオットVになっても引き継がれている。おそらくスタジオ盤のオリジナルのソロでは、演歌臭が強すぎ(それはアメリカ的に言えばブルーズ臭が強すぎ)、こちらの3連符のソロで華麗さを加えることで、バランスをとって良い感じになったのだろう。


さて、ライオットのウォリアーは1977年発表。日本で発売されたのは1978年。すっかり忘れていた知識だが、その頃からウォリアーは日本で人気を博し、五十嵐夕紀というアイドル歌手が1979年に「バイ・バイ・ボーイ」という曲で日本語でカバーしている。



僕はこの曲を初めて聴いたわけではない。確かライオットがサンダースティールで席巻している頃、伊藤政則のロック・トゥデイかサウンドハウスでかけてくれたのではなかっただろうか?

非常によくできたカバーで、ちゃんとギターリフも残し、ハードロックとしての魅力を維持し、かつ歌詞もアイドル歌手が歌えるような内容に変え、歌謡曲として見事に昇華している。いやいやもともとウォリアーが持っていた演歌的側面を最大限に引き出したのが「バイ・バイ・ボーイ」だろう。しかも五十嵐夕紀の歌唱も相当な実力者である。

この「バイ・バイ・ボーイ」を聴いていたら、もうひとつの歌謡曲の名曲を思い出した。山本リンダの「どうにもとまらない」である。山本リンダかっこよすぎる。

おそらくライオットの「ウォリアー」を聴いた「バイ・バイ・ボーイ」の編曲者は、「どうにもとまらない」を思い出し、歌謡曲として通用する、と考えたのではないか。

「どうにもとまらない」が1972年。ライオットが日本で受け入れられる土壌を山本リンダが用意してくれていたのだ。

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RIOT/ Official Bootleg Volume 1 [音楽 Music]

12月の最初の週が終わるまで仕事でストレスが溜まるため、ストレス発散のためにアマゾンでポチポチとクリックをしているため、家に帰るたびに玄関前に黄色い封筒が届いているのである。フンメルの協奏曲かな、と思って開けてみたら、それよりも後に注文したライオットのライブ盤が届いた。

こんなCDが発売されるなんて、なんと素晴らしい時代になったものか、というか、それはマーク・リアリが亡くなってしまったから、彼が保管してくれていた音源を発売してくれているのであって、できる事ならもっと長生きして、どんどん作品を発表してくれるのであるならば、この音源を聴く機会を永遠に喪失してもよいのであるが。



マーク・リアリは、以前、マーク・リールと日本では発音されていて、いつごろからかリアリが正確な発音だ、ということで呼び方が変わった。しかしスペルを見ると、リールではないか、と思って調べたら、確かにリアリで間違いないようだ。

こんなドキュメンタリーも作られている。マーク・リアリのお父さんが健在だなんて。


ライオットは、ナリタでステッペン・ウルフの「Born to Be Wild」をカバーしており、「ナイトブレイカー」ではディープ・パープルの「バーン」をカバーしていた。90年頃来日した際、確か「スモーク・オン・ザ・ウォーター」もカバーしていなかったか。オフィシャル・ブートレグを聴いていると、そこには「ハイウェイ・スター」が含まれていた。ディープ・パープル好きはマーク・リアリの趣味なのだろう。

さてそこに、興味深いカバー曲が他にも含まれていた、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「スウィート・ジェーン」、スウィートの「フォックス・オン・ザ・ラン」である。そこで僕はライオットの音楽性がどのように出来上がったのかを垣間見た思いがしたのだ。

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フンメル編曲 モーツァルトピアノ協奏曲集 [音楽 Music]

今日は疲れを取るために一日、家でのんびりしていた。夕方ドアのチャイムがなり、出てみると、玄関口にアマゾンからの荷物が届いていた。開けてみたら、フンメル編曲の室内楽版モーツァルトピアノ協奏曲集である。先日の記事のとおり、フンメルのピアノ協奏曲が気に入り、それをアマゾンで頼もうとしたら、むしろフンメルがモーツァルトのピアノ協奏曲を室内楽に編曲しており、それも購入したのである。

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フンメルがモーツァルトのピアノ協奏曲を室内楽版に編曲した理由は、よく調べていないので知らないが、一般向けの普及が目的だったのかもしれない。しかしモーツァルトの時代のオーケストラの規模が現代とは異なるとはいえ、(特に現代のオーケストラの響きに慣れてしまった現代人には)重厚なオーケストラの響きと、それに張り合うピアノの響きを目的に書かれている作品を、室内楽に編曲されても、なんだか物足りない。僕だけかもしれないが、室内楽には、独立し、対等な4つか5つの楽器による、和声と旋律のタペストリーを期待してしまうのであり、それがどうしてもピアノ協奏曲を室内楽版に編曲したものでは感じられないのだ。そのあたりがこのフンメルの編曲版があまりメジャーにならない理由ではないか。

しかしこのピアノ協奏曲集、なんと交響曲40番の室内楽編曲が収められている。これは素晴らしい。この室内楽版を聴くがためだけでも十分に買う価値のあるCDだ。

作品自体に物足りない点があるものの、演奏は全編通して、素晴らしいです。
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Obey Your Remaster! [音楽 Music]

昨日、会社の帰りに、気分転換に何かCDかレコードでも買おうとバーンズ&ノーブルに行った。レコードは最初から買うものを決めていて、後はCDを買おうと(最初に“CDかレコードでも”と書いたが、それは誤記で“CDとレコード”を最初から買う予定だったのだ、と白状しよう)、いろいろ選んでいたところ、メタリカのマスター・オブ・パペッツのCD3枚組盤を見つけてしまい、これを買うことにした。

まず1枚目は、リマスター盤。車で聴いていたので、音質の変化はあまりよく分からなかったが、久しぶりに全曲を通して聴いて、非常に楽しめた。ジャケットをあらためてみたら、十字架にヘルメットがかけられており、戦争で死んだ兵士達のものであることに気づいた。Disposable Heroesなど、いくつか戦争に関連した歌詞の曲がある。次のアルバムのアンド・ジャスティス・フォー・オールで、突然“One”が作られるのではなく、このころからそこに至る道がちゃんと見られる。

バッテリーは、僕は野球のバッテリーのことかと思っていたが、ここ最近、台場のことをバッテリーということを知り、むしろ、その意味なのではないかと思うのだが、ネット上にある日本語訳を見ても、どれもメタリカとファンのチームワークとしてのバッテリーという意味、と解釈されている。マスター・オブ・パペッツが戦争に関連した作品だと考えると、砲台という意味でもつながる気がするのだが。

ちょっと調べてみたら、日本語のWikipediaでは野球用語から来ていると書かれているが、英語の方では、はっきりとこのように書かれている。解釈のうちの一つであるかもしれないが、こちらの方がしっくりくる。

“Battery" is about anger and refers to the term in the sense of "assault and battery". Some critics contended that the title actually refers to an artillery battery, and interpreted it as "Hetfield [singing] of a war tactic as the aggressor" personifying destruction. ”

またバッテリーは、メタリカがライブを行っていたサンフランシスコのバッテリー・ストリートから来ている、ともあるが、ならばなおさら、バッテリーの意味するところはは“砲台”だろう。

そもそも野球において、なぜピッチャーとキャッチャーをバッテリーと称するのかというと、調べると、1860年にヘンリー・チャドウィクというスポーツライターが使用したことが始まりで、由来はそのままチームの投手を「大砲の火力」としてバッテリーという用語を使った。その後、そのチームの持つ「火力」の意味合いはキャッチャーも含めていくことになる。そもそも野球用語としてのバッテリーが「大砲」、「火力」の意味からスタートしているのである。

また現在では、Batteryを調べると、まず出てくる言葉は、法律用語のAssault & Battery である。各州法によって定義が異なるのだが、Assaultが即座に暴行を加えるということで脅迫すること、Batteryは実際の暴行、という概念がある。日本語訳では「暴行殴打」となっており、定義は厳格ではない。要は広義、狭義、両方の意味において「暴力」である。

Assaultという言葉から連想するのは、Nuclear Assaultである。Nuclear Assaultのコンピレーションアルバムが、まさに『Assault & Battry』というタイトルを冠せられている。


ここまで読んで、まだメタリカの「バッテリー」をメタリカとファンの「絆」の意味である、と思う人はいないだろう。

しかし「絆」という意味合いも、まるっきり見当はずれのものでもない。この語を与えたのは、Burrnの、さこたはつみ氏のようだ。しかし氏の翻訳を読んでも、そのままバッテリーというカタカナを与えている場所がほとんどで、要所で「絆」という語を使っている。その結果、うまくどちらとでも解釈できるという訳になっているのだ。

思うに野球用語としてのバッテリー自体が、日本とアメリカでは意味が異なっているのではないだろうか?「バッテリー」には「Battery」にない意味が加わっているのではないか?単純な火力、戦力、としての一組を指す語に、「親密さ」、「チームワーク」、「協力」、といった人情的な部分が、強調させられたのが日本語の「バッテリー」なのだ。高校野球や、それを題材にした漫画といった作品で、繰り返し、繰り返し「バッテリー」を描写したことで、その部分が協調されたのだろう。

野球用語でもBatterymateという語があり、やはりピッチャーとキャッチャーの関係は、他のチームメイトから別枠で語られる扱いである。

メタリカのバッテリーは、もともとは「大砲」、「火力」、「砲台」という意味であり、そこに「暴力」「力」「強大なエネルギー」という意味合いも加わり、さらに「仲間」、「絆」、「チーム」、またはライブハウスの「The Battery」が加わる。

さて、だらだらと書いて、まとまらなくなったが、僕が言いたいのはメタリカの「Battery」は、好きなように解釈して良いのだが(ジェームス・ヘットフィールドに尋ねたら、「好きに解釈しなよ」と言うだろう)、日本のファンだけおそらく「野球用語のバッテリーの意味に近く、ファンとメタリカの絆」という意味だけを強調しているのならば、それは極端であり、「大砲」「火力」「暴力」という意味がもともとだ、ということを認識した方が良い、ということだ。

<2017年12月8日追記>
アメリカ人の同僚でメタリカを好きな人がいたので聞いてみた。自分の考えを説明するのではなく、単純に「メタリカのバッテリーはどういう意味だい?」と聞いたのだ。案の定どころか、彼の説明は、僕が想像した通りだった、右手のひらを、握った左手で叩くジェスチャーをし(彼は左利きなのだ)、「Hitの意味だね。電池の意味じゃないよ。攻撃するとか、ぶつかるとかさ」


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