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長谷川町子美術館 [その他 Others]

11日の夕方、長谷川町子美術館に行ってきた。失敗したのは、この美術館、長谷川町子が存命中の昭和60年よりあり、もともとは長谷川町子が蒐集した美術品を展示する美術館として会館したのだが、僕は長谷川町子の原稿とかを展示しているコーナーだけを見て帰ってきてしまった。しかし僕の目的も長谷川町子の作品、ゆかりの品などを見にいったのであり、それだけでもよかったのだが。

僕の父は戦後日本の典型的な教養人で、その典型ぶりが若い頃の僕に反撥心を抱かせたりしたのだが、僕も子どもを持つ身となり、社会で揉まれ、父が味わったのと同じ苦渋をいくつも経験したことで、今では戦後日本の典型的な教養人としての父に対し、まったくもって感服し尊敬の念を持っている。

いくつかの記事で、書棚の景観、背表紙の重要性(驚くべき事に岩波文庫が背表紙を変えたウンベルト・エーコの作品を出していることに気づいた、なんたることだ)、について記述したが、父の書斎にあった書棚は実に素晴らしいミクロコスモスであった。

戦後日本の典型的な教養人としての父は、当然のごとくマンガに対しては一定の嫌悪感を示していたが、そんな父でも認めざるを得ない、いくつかの漫画家の作品を所有していた。

いや、父は本当に戦後日本の典型的な教養人なのだろうか?思えば、父は常に新しいものへの好奇心を持っている。過去に囚われる自分に対し、父はいつも新しい事象へ寛容であった。80歳を前にして、新しいパソコンや、タブレットを欲しがる人が何人いるだろうか?定年間近の頃にWindows 95を手に入れたり、ベータがいいのだ、と言い張り、家族にベータデッキを使わせるような人が何人いるだろうか?

父のそのような保守と革新の絶妙なバランスが、書棚におそらくいくつかのマンガを置かせる結果につながったのだろう。
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不思議なことに [その他 Others]

ここ最近、自分の身に非常に不思議な変化があり、その変化は本当のことなのかどうか検証したく、ここに記すことにする。

このブログは、主として、自分の趣味である音楽や映画といった芸術に関連したことを記述するブログであり、あまり自分のプライベートなことなど、ましてや仕事に関することなどは書いたりしないのだが、そんな考えのもとに書かれているブログであるのに、たまに僕は「仕事が嫌だ」とか「憂鬱だ」とか「会社に行きたくない」とか、そんなことを漏らしてしまうほど、僕はそのようにイラつき、憂鬱になり、仕事で不満を持ち、という生活を続けてきたのである。

その期間はいったい何年だろうか。いやいや、僕が「イラつき」「不満を持ち」「ストレスを抱えた」のは高校生ぐらいから、ずっとである。何十年と、そのような生き方をしてきたのだ。

僕はいま、ロサンゼルスにいて、映画のロケ地や、そう、それこそ、いまそうしようと思えば、車を30分ばかし走らせれば、チャップリンのスタジオを見に行くことができ、そうしようと思えば、いくつもの名画のロケ地を順番に訪問することができるのである。好きなだけだ。

僕はこの恵まれた境遇は、自分がいつも抱えているストレスとバーターとなっている、等価のものであり、マイナスを打ち消すためのプラスなのだ、と考え続けてきたのであるが。

突然、7月の第二週から、不思議な変化が自分に起こったのである。

怒らなくなったのである。イラつかず、ストレスがなくなったのだ。

何をした、どのように考えた、とか、何も理由はない。突然この変化が起こった。今、この文章は、実は8/3に書いているのだが、要はほとんど1ヶ月、怒らず、いらいらせず、いやいや、怒ることもあるのだが、ひきづらない、とでも言おうか。本日、非常に強度のストレスと緊張を強いられる仕事が終わったのだが、まったくナーバスにならなかった。



革命失敗 [その他 Others]

別にトランプの大富豪の話でも、実際の世界情勢の話でもなく、身近なところで革命は失敗したのだ。僕がこれまでに失敗したことなどは無数にあり、後悔の総量を推し量ることなど土台無理なのであるが、その中でも特に大敗を喫し、そして継続して後悔していることが、失敗したことを認めざるを得ない革命なのである。

当時、その存在は、僕には救世主に見えたのだ。馬を駆るオルレアンの乙女や、コルシカから突如現れた後光を纏った英雄に見えたのだ。

いったいなんの話をしているのかと言うと、僕は以前、ディスクユニオンが販売するCDとDVDの収納革命を利用したのだ。プラスチックケースを処分し、所有しているCDの1/3ぐらいはこの革命派に加担したのであるが、その革命当時から10年近くが経過し、僕はこの革命が失敗に終わったことを宣言する。シャルロット・コルデーによってマラーは息の根を止められたのである。

価値の伸長と収縮 [その他 Others]

毎回、僕が記事を投稿するたびに、読んでくれている人がいるのかどうかはわからない。もし読んでくれている人がいたとして、おそらくこのブログの書き手にとって、いったい何がテーマとなっているのか、ということは、もしかしたら朧気ながらも伝わりつつあるのかもしれない。

それは「価値の伸長と収縮」なのだ。



多くのビジネスマンにとって、価値とは何かと問えば、「時間だ」と答えるかもしれない。そうだ、それはこのブログのタイトルでパロディとして拝借したトーマス・マンの『魔の山』のテーマなのだ。

「まさか七年とはかかるまい!」

僕は以前より、「あなたが所有している最も高額な宝物はなんですか?」と聞かれたら、こう答えようと思っていた。

「アラビアのロレンスのDVDですね」

おそらく、そう答えられたら、「えっ?DVDなんて1000円~2000円ではないですか?」と思われる。もちろんそれが通常の反応だ。しかし次の説明を聞けば、僕がそのように言う理由は納得できるだろう。

「確かにDVDとしては数千円で買えますね。ですがご存知ですか?『アラビアのロレンス』を製作するのに$15 Millionかかっているんですよ。そしてこの映画にはピーター・オトゥール、アレック・ギネス、アンソニー・クイン、ホセ・ファーラー、オマー・シャリフといった今は亡き往年の伝説的な俳優が演技をし、モーリス・ジャールが作曲しているのです。そして題材は歴史的なT.E.ロレンスについての話です。金額には換算できないほどの価値があることは明白です。もし『アラビアのロレンス』のDVDを手に入れれば、単純に、あなたは$15 Million、いやそれ以上の価値を手に入れたも同然です。」


 [その他 Others]

ロサンゼルスで当たり前のように悩まされる事象として、「家に蟻が発生する」というものがある。不思議と自分がいままで住んでいた家では蟻は発生しなかった。しかし一昨日、新しい家に引っ越したところ、初日より無数の蟻に遭遇することになる。

蟻から見たら、人間はどれぐらい大きく見えるのだろうか。子どもが好きな『進撃の巨人』で、最大級の巨人は60mだそうだ。通常の日本人男性の平均身長を1.7mとしよう。となると、巨人は人間の35.29倍の大きさということになる。人類は35.29倍の大きさの敵になすすべがない。無力感からくる絶望に打ちひしがれている。

蟻と人間はどのような比率だろう。僕が家で見つけた無数の蟻は2㎜ぐらいだ。同じく1700㎜と比較すると、なんと850倍である。蟻にとって、人間は巨人どころの騒ぎではない。

蟻は人間に対して打ちひしがれているのだろうか?答えは否だ。

最近、日本のニュースを賑わせているのも、ほかならぬ蟻だ。ヒアリといって毒を持つ種だ。自分よりも1/850のサイズのこの生物に、日本人はパニックに陥っている。Wikipediaで調べると、かつてアメリカではヒアリを根絶しようと、大々的な殺虫剤の散布を行ったそうな。しかし結果は、なんの成果もなし。

人類は1/850のサイズの生き物に対してなすすべがない。

以前、ゴキブリが地球上に何匹いるのだろうかと興味を持って調べたことがある。たしか1兆匹を超える。それに対して、蟻は何匹だろう。なんと1京匹だそうだ。1那由他でなくてよかった。



以前、『利己的な遺伝子』という書籍がベストセラーになった。仮に、すべての生物の目的が遺伝子を残すことであったとして、種族として人間は蟻に勝っているのだろうか?生物のヒエラルキーの頂点に立ったのが人間である、とよく言われるが本当だろうか?


QUOTES [その他 Others]

1.Nothing is written


2. Hope is a good thing, maybe the best of things, and no good thing ever dies.


3.It is not who I am underneath, but what I do that defines me.



ガーデニング [その他 Others]

別に熱心にガーデニングをしているわけではないのだが、僕が買った鉢植えの植物はなんだか元気にすくすく勝手に育っている。実は、いますんでいるところから引っ越さなければいけないのだ。本当はこれらの鉢植えは、庭に植え替えようと思って、空いているスペースの痩せた土を掘り返し、コガネムシの幼虫を取り除き、古い根っこを捨てていたのだが、急きょ引っ越しすることが決まったので、取り除いたコガネムシの幼虫はまた元に戻しておいた。元気に立派なコガネムシになってくれたまえ。

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これはバラ。どんどん新しいつぼみがでてきているので楽しみだ。

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オレンジ色のバラを買ったのだけど、赤いのが咲こうとしている。

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これも調子がよい。この花の名前、いままで知らずに買ったのだが、調べたら、まず仏炎苞という言葉を知った。要は真ん中にある雄蕊みたいなもの、これを肉穂花序(にくすいかじょ)というらしいが、これを仏に見立て、これを包む花のような葉のようなものを後光、仏の後ろに見える炎に見立てた語のようだ。僕はこの言葉から、筒井康隆の家族八景にでてくる紅蓮菩薩を思い出した。どうもこの花はオランダカイウというものらしい。

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これはオランダカイウの葉っぱにいた蛾。植物はこういった虫や鳥などを呼び込んでくれるからまた楽しい。

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これは僕が開花を待ち望んでいる極楽鳥花。ちっともその兆しを見せないが、新しい葉っぱがでてきているので、そのうち花も咲かせるだろう。

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僕の庭に生えていて、いつも紫色の花を咲かせ、ミツバチ、そしてハチドリを呼び込んでくれた木。結局この木は何という名前だったのだろう。今調べたのだが、ちょっと分からない。ライラック?桐?引っ越すまでには名前を突き止めたいのですが。

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これは最近、あちこちで咲いている花。アメリカでは庭師や、道路の植樹、花を植え借る人がきちんと機能していて、おそらく今はこの花の時期なのだろう。あちこちにこの花が植えられたようだ。調べると、アガパンサスという花。名前はギリシア語のアガペ(愛)とアントス(花)が組み合わさったもの。

憂鬱な時にすること [その他 Others]

ここ最近、会社に行きたくなく、周りはそこもかしこも敵ばかりで、本当に憂鬱なのだ。今日の朝、You Tubeで、「会社に行きたくない時の対処法」を誰か説明していないかと思い、調べたが、ろくなことも説明されておらず、そこで、いままでの経験から、ここに何をするかをまとめておこう。

1.シャワーを浴びる
2.歯を磨く
3.コーヒーを飲む
4.目の前を片付ける。片付けられない場合は、置き方を整える。
5.散歩する

こんなものだな。とりあえず。

「行きたいところ」というのもそれ単独のカテゴリーにしたらうまくいっているので、これも単独のカテゴリーにしよう。

先生のお話 [その他 Others]

中学生の頃、通常の授業ではなく、その時間(40分だったろうか、当時の一時限は)、特別に先生が「話」をしてくれる、という時があった。それは、なんだか特別な時間で、つまらない教科書の授業よりも、よっぽど生徒たちの印象に残った。30年が経過しても、僕はいまだにその時の話の内容、そしてその時の先生のしぐさ、その場の空気を思い出せる。ある時、数学の女性の先生、非常にまじめな先生で、その先生に生徒たちが「話」をして欲しいとねだり、先生が折れて承諾した時があった。その話の内容は、要約すると、あるとき先生が、女性の友達と話をしていた時、先生が「毛ガニ」の料理のことを話した、ところがその友達は実は自分の体毛のことを気にしていて、「毛ガニ」という言葉に心を乱され、不快な思いをしたという。先生の話の核心は、自分に悪意がなくとも、人によってはその言葉に傷つくのだから、言葉は難しく、言葉には気をつけよう、というそのようなテーマだった。

実は生徒たちはねだって聞くことのできた話が、そのような内容で、ひどく不満に思ったのだ。僕も非常に理不尽な話だと思った。「毛ガニ」の料理の話で、傷つくなんて、なんて身勝手なものか、と思ったのだ。

この言葉に対して過度に気を遣うあまり、使える言語が狭まってしまう、ということは筒井康隆がずいぶん昔から反対の狼煙をあげていた言葉狩りに通じるところがある。

僕は実は、この先生が話した「毛ガニ」の話を、最近よく思い出すのだ。アメリカにいると、アメリカ人が何気なく言う言葉、そこには悪意はないのだが、それに対して、勝手に傷ついている自分がいるのだ。

You Tube の動画について思うこと [その他 Others]

自分のYou Tubeのチャンネルを見ていていつも思うのだが、なんともまぁ反応というものが自分の意にそぐわないのか、と。僕のチャンネルは別に、アクセス数も何にもなく、チャンネルと称するのもおこがましいほどの、どうでもよいものなのだが、いつも不思議に思うことが、いかに反応が、自分が想定していたことと相反するのかということなのだ。

僕のチャンネルは、自分のギター演奏などをメインにアップロードしているのだが、ふと面白いことに気づいたのだ。それはどういうことなのかというと、自分がそれこそ数か月練習して、やっとこさっとこアップロードしたものが、まったくアクセスされなかったり、まったく評価されなかったりするのに対して、自分が適当にやってアップロードしたものが、やけに好評を博したりする、という事実なのだ。

とにかくYou Tubeというのは新しい性格を持ったメディアだと認識せざるを得ない。You Tubeで誰も2時間のフルコンサートや映画をすべて観たいとは思わない。せいぜい5~6分の動画、内容も軽く、一つの動画に、いくつもの要素が詰め込まれていないものが好まれる。実際自分もそういう動画を鑑賞している。1980年代に軽薄短小の時代という言葉が一時期、時流を風刺する言葉として使われたが、現在は、言葉を勝手に作れば、それは瞬透微細の時代とでも言わなければ形容のしようもないほど、ますますその傾向は加速しているのだろう。
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