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秩父札所巡り [建築&歴史 Buildings&History]

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23番:松風山 音楽寺 2017年8月14日
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Dancing Undercover / RATT [音楽 Music]

ディスクユニオンの御茶の水店に行き、いろいろと買う気満々だったのだが、なんともあまり欲しいものがない。1時間以上、店内をうろうろして、何も買わないで帰るのもつまらない、と思い、まずラットのダンシング・アンダーカヴァーの紙ジャケを買った。ラットは結局、ラウンド・アンド・ラウンドを超える曲を作る事ができず、最後の最後までもがき苦しんだバンドのように思える。

いま聴いてみると、良い曲も多いのだが、どうしてもラウンド・アンド・ラウンドと比較してしまうのだ。
IMG_5449.JPG

僕は現在、カセットテープを聴く環境がないのだが、捨てられないカセットテープというものがあり、そのうちの一つがラットの情欲の炎だ。このThat'sのテープのデザインは非常に秀逸なもので、このテープのデザインに思い入れがある。他にこのテープにはオジー・オズボーンのブリザード・オブ・オズを入れていたが、そちらは捨ててしまった。
IMG_5454.JPG

中学2年生の頃、学校のおそらく社会科見学とかそのような行事で、どこかにバスで出掛けたのだが、バスの中で好きな曲をかけても良い、ということになり、僕はこのラットの情欲の炎をかけてもらったのだ。カセットテープを持っていたということは、行く前に、かけてほしい人はテープを持ってくるように、といったことが旅のしおりにでも書いてあったのだろう。
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山吹の里の碑 [建築&歴史 Buildings&History]

昨日、長谷川町子美術館で「よりぬきサザエさん」の第1巻を購入し、読んでいたところ、ひとつよくわからない作品があった。お隣さんが1000円を崩してほしいと磯野家へ駆け込んでくるが、サザエさんはあいにく1000円分の小銭がない、そのかわりサツマイモの半分を差し出すのだ。驚くお隣さんと同様、フネもサザエに対し、なんでそんなことをしたのかと聞くと、サザエが短歌の一句を説明する事が落ちとなっている。

サザエさんは歌の全部を詠まないのだが、手掛かりに調べると、次の歌に行きつく。

七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき

これは兼明親王が詠んだ歌で『後拾遺和歌集』に収録されているものだが、それよりも太田道灌を主役とした山吹の里の伝説で有名となっている。

山吹の里の碑は、面影橋にある。
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僕は以前ここにある会社に仕事で何度か通ったのだが、その時分、このような石碑があることなど知らなかった。教わったところで、興味も示さなかっただろう。




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パレスサイド・ビルディング [建築&歴史 Buildings&History]

父から借りた東京人の雑誌で、東京のモダニズム建築の特集したものがあり、そこで紹介されているビルとして竹橋にあるパレスサイド・ビルディングに行ってきた。竹橋はあまり降りた事がない。新宿に行く際の乗り換えで使うばかりだった。

パレスサイドというのは、降りてみてすぐに気づいたが、皇居のとなり、という意味だ。パレスサイド・ビルディングは林昌二のデザインによる。林昌二は中野サンプラザも手がけている。
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長谷川町子美術館 [その他 Others]

11日の夕方、長谷川町子美術館に行ってきた。失敗したのは、この美術館、長谷川町子が存命中の昭和60年よりあり、もともとは長谷川町子が蒐集した美術品を展示する美術館として会館したのだが、僕は長谷川町子の原稿とかを展示しているコーナーだけを見て帰ってきてしまった。しかし僕の目的も長谷川町子の作品、ゆかりの品などを見にいったのであり、それだけでもよかったのだが。

僕の父は戦後日本の典型的な教養人で、その典型ぶりが若い頃の僕に反撥心を抱かせたりしたのだが、僕も子どもを持つ身となり、社会で揉まれ、父が味わったのと同じ苦渋をいくつも経験したことで、今では戦後日本の典型的な教養人としての父に対し、まったくもって感服し尊敬の念を持っている。

いくつかの記事で、書棚の景観、背表紙の重要性(驚くべき事に岩波文庫が背表紙を変えたウンベルト・エーコの作品を出していることに気づいた、なんたることだ)、について記述したが、父の書斎にあった書棚は実に素晴らしいミクロコスモスであった。

戦後日本の典型的な教養人としての父は、当然のごとくマンガに対しては一定の嫌悪感を示していたが、そんな父でも認めざるを得ない、いくつかの漫画家の作品を所有していた。

いや、父は本当に戦後日本の典型的な教養人なのだろうか?思えば、父は常に新しいものへの好奇心を持っている。過去に囚われる自分に対し、父はいつも新しい事象へ寛容であった。80歳を前にして、新しいパソコンや、タブレットを欲しがる人が何人いるだろうか?定年間近の頃にWindows 95を手に入れたり、ベータがいいのだ、と言い張り、家族にベータデッキを使わせるような人が何人いるだろうか?

父のそのような保守と革新の絶妙なバランスが、書棚におそらくいくつかのマンガを置かせる結果につながったのだろう。
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